夏目漱石(一九〇六年)
「濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味わってみるのは閑人適意(かんじんてきい)の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液はほとんどない。ただ馥郁たる匂が食道から胃のなかへ沁み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。水はあまりに軽い。玉露に至っては濃(こまや)かなる事、淡水の境を脱して、顎を疲らすほどの硬さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。」
『草枕』
黄
第四号
Yellow Collection No.4
“Kusamakura”